松田妙子賞

受賞者インタビュー

第1回 2020年度 受賞者

【活動内容】
東日本大震災および福島第一原子力発電所事故への医療支援
および放射線啓蒙活動

【受賞者】
特定非営利活動法人 医療・健康社会研究所
代表 坪倉正治さん
(医師・福島県立医科大学/南相馬市立総合病院/相馬中央病院)

坪倉正治さん

“正しい”を押しつけず被災者の“知りたい”に応える

2011年の東日本大震災発生当時29歳だった坪倉さんは、直後の4月から福島県の相馬、南相馬両市で、被災者の医療支援にあたった。以後現在まで、放射線被ばく検査体制の構築、地域や学校での放射線説明会や授業、放射線の知識啓蒙のための情報発信、継続的な検査データ分析を次世代に活かす取り組みなどを、住民視点で丁寧に行ってきた。

被災地に入り長く活動する理由は?

一言で表すなら「ご縁」です。指導教授から電話で「南相馬に行けるか?」と打診されてすぐは、彼女(現在の妻)に泣かれるし、少し戸惑いました。一方で、日本の医療問題解決に寄与したいとの思いは以前からあり、「誰かが行かなあかんやろ」と決めたのです。

派遣先は南相馬市立総合病院で、主な仕事は避難所を回って、被災者の問診や相談に乗ることです。多くの方が放射線の影響を不安視する裏で、うつ、糖尿病、高血圧などの慢性疾患が悪化していることもわかりました 。一人ずつ真摯に向き合っていたら10年経ったという感じです。

私は中1のとき、大阪で阪神淡路大震災を経験し、祖父が体調を崩すのも見ていますので、被災者の不安に思いが至る素地はあったかもしれません。

原発事故の放射線の不安にどう対応?

自分も一から放射線の勉強をしました。特に子供さんへの影響を心配する声は多く、個々の検査が必要と考え、ホールボディカウンターによる内部被ばく検査を推進しました。定期的に体内の放射線量を測定し、一人ずつデータを見ながら相談し、前向きに生活できるよう後押しするのです。並行して少人数の放射線の説明会や学校での授業を始めました。

川内村小学校での放射線の授業風景。スクリーンにはホールボディカウンターの写真

地元の新聞の連載記事で発信もしています。科学的に正しい知識を押し付けるのでは、わからない人の切り捨てになりかねません。政府や東電の回し者呼ばわりされる経験も踏まえ、私という人間を信用してもらいながらの活動でした。住民自身が考え偏見や差別に打ち勝つ力を養うことで、災害復興やレジリエンスにつながると考えています。

今後はどのような展開を予定?

今後は、放射線の医療従事者の育成、福島以外の国内外への情報発信や共同研究を予定しています。現在のコロナウイルス感染症もそうですが、見えない恐怖にどう立ち向かうかが、多くの社会問題に共通する点です。

正しい知識や情報に基づいて判断できれば、災害時でも恐怖は緩和できますが、そのためには情報リテラシーの養成も必要です。

財団会員の皆さまには、感謝をお伝えするとともに、福島の現状を知っていただき、風評被害などがなくなるよう願っています。

ベテランママの会とともに制作・配布した 小冊子『よくわかる放射線教室』

本活動は、医師による医療面での社会貢献にとどまらない。正しさを押し付けず自発的な学習意欲を喚起し、学びによって社会課題解決に導いている点、教える側も新たな学びをしている点、得られた知見を地域や次世代へつなげている点などにおいて、松田妙子賞の目的に照らし大いに評価できる。

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情報誌2021年7月号に掲載