博士号取得支援事業

博士号取得者インタビュー

2022(令和4)年度 博士号取得支援助成金授与

2023年2月 早稲田大学博士号(文学)取得

中本 千晶さん (取得時55歳)

【論文テーマ】

950〜60年代の宝塚歌劇における取り組みの多様性
―<虚実><和洋>の相克から「タカラヅカ様式」の獲得へ―

中本 千晶さん
博士号取得を、魅力をきちんと伝えるきっかけとしたいという中本さん。

タカラヅカファンから博士に。魅了するその背景と課題を究明

 中本千晶さんは、著述家としてミュージカルや舞台のレビューなどを執筆し、早稲田大学の非常勤講師として、宝塚歌劇を中心とした舞台芸術入門の講義をする。タカラヅカ関連の書籍に至っては十数冊を世に出した実績を持つ。もともと巷で言うところの「タカラヅカはかせ」だったが、学位取得により真のタカラヅカ博士となった。
 初観劇は小学校5年生のとき。タカラヅカ好きの叔母が、住んでいた山口県からはるばる宝塚大劇場まで連れて行ってくれた。一部の「あかねさす紫の花」は、額田女王 ぬかたのおおきみ をめぐって争う大人の恋物語で、小学生には難解ではあったがほんのりと憧れた。二部のレヴューが始まるとさっきの俳優がきらびやかな洋装で踊り、ただごとではない不思議な世界観に心をつかまれた。それが今にもつながっている。
 最初の書籍を書いたころは、大好きなものを伝えたい一心だった。2014年の宝塚歌劇団100周年のころ、担当編集者から「タカラヅカは伝統芸能になりつつあるよね」と言われた。歌舞伎のように400年もの伝統があると一人では難しいが、100年ならなんとかなるのではと思った。複雑なものをわかりやすく伝えるのが得意な自分が、タカラヅカの奥深さをちゃんと世の中に伝えたいという使命感も生まれてきていた。

「ベルサイユのばら」は神風だったのか?

 タカラヅカといえば「ベルサイユのばら」(1974年初演)があまりにも有名だ。ベルばらブームが起こり、それまで観客の不入りに悩まされていた劇団を救ったと世間では言われているが、果たしてベルばらは神風だったのかという問いが研究の始まりだった。
 戦前に「少女歌劇」「レヴュー劇団」だったタカラヅカと『ベルばら』以降のタカラヅカとは大きなイメージの乖離がある。調べてみるとタカラヅカは、1950〜60年代に驚くほどの試行錯誤をしていた。自分たちは何者であるべきかを模索した時代だった。
 演目は良く言えば多様性に富むが、悪く言えば脈略がない。歌舞伎など古典芸能を踏襲したもの、現代日本を舞台とした作品、おとぎ話を題材としたもの……。そんななかタカラヅカが選んだのは、伝統として引き継がれてきたレヴューとミュージカルだった。
 虚(レヴューによる夢の世界)と実(ミュージカルが描くリアルな世界)、和(歌舞伎などの伝統芸能)と洋(ミュージカル)。<虚実><和洋>の相克によって「タカラヅカ様式」といえる独自性を育み、結実したのが「ベルサイユのばら」だった。それらを、1918年から続く機関誌『歌劇』や新聞、雑誌などを資料とし、中立性、客観性に注意を払いつつ、時代背景や演劇界の動きも加えて証明した。
 論文を通じて舞台に関わる人に訴えたいのは、伝統は作られるものだということ。何十年も時間をかけて「お約束」になっていく。舞台芸術は息の長いスパンで考えるべきで、今のありようが数十年先の栄枯盛衰を左右するということ。

生涯学習の醍醐味。英語力を身につける機会にも

 大学は法学部だったので卒論はなく、論文を書くこと自体に憧れもあった。「中本さんは著書がたくさんあるから、それをまとめれば博論もすぐだよ」と言われてその気になったが、それは間違いだったことが後でわかる。中本さんが仕事で書く文章は、いかに人に読んでもらうかということを考えて書いているが、論文の冒頭をいつもの調子で書いたところ「論文につかみとか必要ないですから」と注意された。
 また、論文博士の場合は博論提出後に「学識確認」というプロセスがある。英語が大の苦手という中本さんは、英語で発表した論文や講演はなく、大学の非常勤講師というだけでは学識を認められない可能性が出てきた。大あわてで高校レベルの英語から勉強し直すことにした。英検2級、準1級、1級と進むに連れ、あれほど嫌いだった英語の勉強が楽しくなってきたのだという。現在も就寝前に英語のニュースを聞くなど継続している。そういう思いがけない学びの喜びに出会えるのも、生涯学習ならではの醍醐味といえる。

100年の伝統を諸刃の剣として

 「現在のタカラヅカは100年の伝統が、自分自身に諸刃の剣として降り掛かってきている局面にあり、そんな今だからこそ伝統が形作られてきた過程にきちんと目を向ける必要があると考える」。これは2022年秋に本研究の意義として書かれた締めの一文。タカラヅカが舞台の外のスキャンダルで揺れる約1年前に書かれたものだ。
 「改めて見直して自分でも驚いています。1950年代、60年代のタカラヅカは、なんとか認められるために『敵は外にある』時代でした。ベルばらでタカラヅカスタイルが認められて以降、培ってきた伝統とどう戦っていくかが課題になるだろうと思って書いたことでした。それが予想外に早く、不幸な形で現れたと思います。ファンも動揺して、それぞれが考える機会になりました。どう乗り切るか正念場ですが、舞台のクオリティは落ちていません。そこは信じていいと感じているので、今後は改善すべきところは改善され、いい形で維持されていくことを願っています」

選考ですべて読んでくださっていることに感謝

 「社会人で博士号にチャレンジしていると、明確なゴールが見えない苦しさがあり、孤独で戦うのはつらいです。私は仲間や励ましてくれる方がいて助かりました。財団の同期の人たちとも知り合え、励みになりあえる存在でいられたらいいと思います」
 二次審査の面接のとき、なぜ自分が選ばれたのか知りたくて聞いてみた。すると、選考委員全員がすべての応募者の申請書や研究内容を読むのだと聞いて、驚くと同時に感謝を覚えた。
 実は中本さん、博論の公開審査会当日、プレゼン用データを入れたUSBメモリを忘れていくという大失敗をしている。その危機をどう乗り越えたのかを含め、博士号取得に至るエピソードの数々をWeb記事『「タカラヅカ博士」爆誕までの道のり』として面白おかしく書いておられるので、ぜひご一読を!
 また、本年の秋を目標に、論文を一般向けの楽しく読める書籍として鋭意準備中とのこと。そちらも楽しみである。

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