生涯学習情報誌
日本の技
インタビュー 21
染織 小倉淳史氏
絞りには多様性があり、表現の可能性は無限
小倉家は京都の染織工芸を代表する家で、5代目小倉淳史さんの父・建亮(けんすけ)さんは、江戸時代に消えた技法「辻が花」を復元した。淳史さんは、父から受け継いだ技法と重要文化財の復元で磨いた技術で、新たな絞り染の可能性に挑んでいる。
(聞き手上野由美子)
小倉淳史氏
- 1946年
- 京都に生まれる
- 1975年
- 第22回日本伝統工芸展にて初入選
- 1988年
- NHKの依頼で徳川家康の小袖2領復元
- 1989年
- パリ展「美は東方より」(染技連)
- 1993年
- 第30回日本伝統工芸染織展にて日本工芸会賞
- 1998年
- 紺綬褒章受章
- 2001年
- 「日本の絞り」小倉家一門展(ドイツ ライス・エンゲルホルン博物館)
- 2005年
- 第39回日本伝統工芸染織展にて日本工芸会会長賞
- 2006年
- 重要文化財「束熨斗文様振袖」の欠損部分を復元
- 2007年
- NHK「美の壺」File71 絞り染め出演
- 2015年
- 第49回日本伝統工芸染織展にて文部科学大臣賞
戦国時代の武将の羽織にも用いられた「辻が花」
――絞り染めはいつ頃から行われていたのですか。
正倉院の御物に絞った染織があるので、奈良時代以前から行われていたと思われます。布を結んだり括ったりする初歩的なものから、縫い絞った糸の圧力で防染するものまで、すでにあったようです。絞りの始まりは、大きな布を染める際にそれ相応の大きな容器がなく、小さな容器で代用したところ布がくしゃくしゃになって、偶然まだらに染まったのを面白がったことからとされています。そこから、意図した模様に染める絞りの技術を生み出し、デザインとなっていったわけです。
──絞り染めの中でも「辻が花」とはどんなものですか。
始めは麻の生地に簡単な模様を絞り、単色で染めた庶民的な着物でした。やがて絹にも染めるようになり、色ごとに絞って染めを繰り返す技法で、地の色と花や葉をそれぞれ違う色にする多色染めになっていきます。室町時代後期から安土桃山時代になると、花びら1枚ごと、葉脈1本ごと、虫の噛み跡まで墨で細く描き、隈どりぼかしを加えるなど繊細な表現が進化しました。金箔、銀箔、刺繍なども施され、豪華な着物として一気に隆盛し、辻が花と呼ばれたのです。女性の着物だけでなく、戦国武将の小袖、羽織、胴服としても数多く制作されました。当時のもので現存するのは300点ほどしかありませんが、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康の遺品などがあります。女性では織田信長の妹・お市、その娘の茶々、初、江や、細川ガラシャ等、この時代の上流女性は皆、辻が花を着ていました。
現代の人に喜んでいただける着物でありたい
――江戸時代に辻が花が消えたのはなぜですか。
諸説ありますが、政権が豊臣から徳川に代わり、文化の中心も大坂から江戸に移っていく中で、辻が花の流行も終わったのだと私は思います。
現代の辻が花は、まず生地が違います。江戸時代の縮緬(ちりめん)はガーゼのように軽く薄かったのですが、だんだんと生地は厚く重くなりました。蚕(かいこ)に品種改良が加えられ、蚕や繭が大きく育つようにしたら、生糸自体が太くなってしまったからです。着物は重いほうが高級という見方もありますが、進歩かどうかは疑問です。
染料も、昔は草木を煮出した草木染めでしたが、現代は主に化学染料を使います。草木染めは植物ごとに季節が限られるので、糸染めなら良いのですが、多色を用いる絞り染めには向きません。現代は色数も増え、この形をこの色で染めたいと思えば自由にできます。
当時の辻が花と復活した辻が花では、技法が違うという人もいます。学者の定説では、15世紀末ころの『三十二番職人歌合』という絵巻に描かれている桂女(かつらめ)の着物の絵柄が、辻が花の始まりとされていますが、あくまでも絵なので、それも実際とは違うかもしれません。いずれにしても、現代の素材を活かして、現代の技術を活かして、現代の人が着て喜んでいただける着物であることが、何より大事だと思っています。
組み合わせで全く違う絞りが生まれる可能性も
――絵柄はどう決めていますか。
構図は染める前に頭の中に描かれています。写実的な草花などはスケッチしますが、辻が花は定番の図柄があって、それらは全部憶えています。写真の「立浪」は典型的な辻が花の模様で、桜、楓、銀杏(いちょう)、菊、海松穂(みるほ)を用いています。着物を着る場面はお祝い事や茶席が多いので、吉祥文様を基本にしつつ上品になるよう心がけます。また、展示の美と着用した時の美は違うので、押しつけにならないよう注意しています。
──今後は絞りをどう発展させていきたいですか。
絞り染め自体はほぼ世界中にあり、国ごとにいくつか技法が見られますが、日本の絞り染めの技法は1000とも2000とも言われ群を抜いています。技術の高さも考えれば、日本独特と言ってもいい工芸なのです。2001年にドイツで「日本の絞り」小倉家一門展を開催しました。華やかで、しかも繊細な日本の着物は海外でも高い評価をいただけることがわかりました。
絞りには多様性があり、これからも何百通りにでも変えていくことができます。表現の可能性は無限で、組み合わせによっては、全く違う絞りが生まれてくると思って期待しています。
聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。