生涯学習情報誌
日本の技
インタビュー 17
木工芸(江戸指物) 島崎敏宏氏
指物の技術は見えないところに詰まっている
金釘を使わず、木の部材を組み合わせることで家具や箱物を作る指物。組手、継手、仕口といった接合部が技術の主体だが、完成品からはこうした部分は見えない。江戸指物は、桑材の美しい木目をうまく活かしているのが特徴だ。
(聞き手上野由美子)
島崎敏宏氏
- 1949年
- 東京都荒川区に生まれる
- 1964年
- 父・征成につき江戸指物の技術修得に入る
- 1970年
- 東京デザイナー学院工芸・工業デザイン科卒業
- 1971年
- 伝統工芸新作展 初入選
- 1972年
- 伝統工芸木竹展 初入選
- 1975年
- 日本伝統工芸展 初入選
(‘91年文化庁買い上げ、‘06年宮内庁買上げ) - 1984年
- 東京銀座・和光にて「くらしの木竹展」(以降出展多数)
- 2003年
- 東京国立博物館「孔方図鑑所銭箱」修理
- 2006~2009年
- 伊勢神宮第62回式年遷宮に用いる玉箱等木地制作
- 2010年
- MOA美術館「21世紀の伝統工芸―世界の眼―」出展
- 現在
- 日本伝統工芸会正会員
御蔵島の桑材を長く寝かしてから使う
――指物の技術はいつ頃から始まったのですか。
平安時代と言われていて、当時は大工仕事の一部でした。指物師が登場するのは室町時代で、公家や武家の箪笥、机などの調度品が増え、茶の湯の発達で箱物需要が増え、指物師の仕事として確立されていきました。
徳川幕府によって多くの指物職人が京や大坂からやってきました。武士・町人文化の江戸では、京指物などの上品な色塗りよりも木目の素朴な雰囲気が好まれ、江戸指物のスタイルができ上がっていきます。大名や力をつけた財閥のお抱え職人もいたようです。
――御蔵島産の桑が作品に多く使われていますが。
桑以外にも、欅、桐、杉など木目がきれいな木は使いますが、良いものを作るときは御蔵島の島桑を使います。御蔵島には樹齢何百年という良質な材が残っているのです。桑は一般の木材店では売ってなくて、親しい銘木店に入った時に買ってストックしておきます。といっても、使うまでに最低でも15年、20年と寝かして天然乾燥させます。常にストックしておけば、いつでも良い作品づくりに取り掛かれるという、父・征成の教えです。
御蔵島の桑は、渋くて、粘りがあって、使ってるうちに品格が出てきます。黄色っぽい色が40年、50年経過すると、私は「博物館色」と言っているのですが、きれいな茶色になります。最初からこの色が欲しいという人もいて困るのですが(笑)。
技術に支えられた繊細で精密な工程
――制作工程のポイントを教えてください。
まずは木取りで、木目や木のクセを見ながら、板材のどこからどの部材を取るかを決めていきます。作品の仕上がりを大きく左右する作業です。
次に必要な部材を切り出し、平面と直角を正確に出しながら、鉋(かんな)で整えていきます。そして、部材の接合部になる、ホゾ(凸)とホゾ穴(凹)を削り出していきます。木を煮て曲げて曲線を出す技術も使っています。面と面を45度にカットし接合する、留め加工も必要です。どれも正確な技術がないとできませんが、一朝一夕にできるものではありません。
部材が揃い、ホゾ加工が済んだら組み立てます。仮組みをしながら、ホゾの加減を0.0何㎜レベルで修正していきます。納得のいくまで何度もやります。引き出しがスムーズに動きつつピタッと収まる加減も難しく、組み立ての時に調整していきます。
仕上げは、漆を塗って研いでを繰り返します。それによってこの光沢が出るのです。
伝統を受け継ぎつつ、新たな作品づくりも
――技術はお父様から学んだのですね。
学ぶというより、家内制手工業でやらざるを得なかった感じですね。明治期に指物の第一人者として活躍し、天皇陛下への献上品も作った前田文之助が三宅島出身で、それに続けと多くの三宅島出身者が東京に出て、指物師を目指したのです。父もその一人で、先に指物師になっていた兄の下で修業しました。兄弟でやっているとどうしても長兄の方に注目が集まりがちで、このままでは自分は日の目を見ないと思った父は、公募展に挑戦するようになったそうです。
私も父の影響で、若い頃から工芸展に出してきました。ただ、公募展で入賞する作品と自分が作りたい作品が違うのも事実で、悩ましい点でもあります。選ぶ側は芸術性や創作性が高い作品を選びたいわけですが、私は技術があっての芸術・創作だと思っているので、自信を持って出した作品が選に漏れてがっかりしたこともありました。もちろん同じ作品を高く評価してくれる方もいますので、価値観の違いでしょう。
――文化財の修理などもよく任されていますね。
ありがたいですね。伝統を踏まえつつ、いま作ったものが最高なんだという気持ちで取り組んでいます。また、そこから学ぶこともあります。東京国立博物館から依頼された古銭箱の修理では、寄木細工風の技術を解明し、それをヒントに新たな作品も作りました。
私自身も変わってきている部分はあります。父と一緒にやっていたときは、父が伝統的な作風のものを、私が創作的なものを作る傾向にありましたが、父が亡くなってからは、先人の残してくれた技術や島桑を、自分がしっかり受け継いで、次世代にも伝えなくてはと思うようになりました。なかなか弟子を取るまではいきませんが、応援している方が、今回の日本伝統工芸展で新人賞をとり、励みになりました。
聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。