生涯学習情報誌

日本の技

インタビュー15 陶芸 寺本 守氏インタビュー 15
陶芸 寺本 守氏

作品のベースは、変化する自分の生き様作品のベースは、変化する自分の生き様

茨城県笠間市に窯を置いている寺本さんは、笠間の形式にとらわれない気風が自分に合っていると話す。上絵に銀彩を施した躍動的な作品や、クリーム色の縞壺など、味わい深い独特の世界を表現している。

聞き手上野由美子

陶芸 寺本 守氏
寺本 守氏
1949年
神奈川県生まれ
1975年
九谷で松本佐一氏に師事
1976年
笠間市に築窯
1980年
日本伝統工芸展初入選/茨城県藝術美術展優勝
1996年
茨城県立医療大学モニュメント制作
1997年
ハンドル国際陶芸イベント(フランス)審査員及び講演
2004年
ニューヨーク・ギャラリーGenで二人展
2007年
第2回菊池ビエンナーレ展入賞
フランス国立セーブル美術館「TOJI」展
2009年
バンブー鍛金展 ニューヨーク一穂堂
2010年
伝統工芸陶芸部会展 日本工芸会賞
MOA美術館21世紀の伝統工芸–世界の眼– 奨励賞
2015年
日本伝統工芸展入選(7度目)

常に変化している作風や技法

──家業とは関係なく陶芸を始めたそうですね。

 父親は船会社に務める商社マンでした。若いころは学生運動が盛んで、それで捕まったりもして、社会性の高い仕事は自分には無理だと。焼物をやるチャンスをくれた人がいて、漆もやりたかったけど焼物でいいやと。

──あまりこだわりがないのですね。笠間に来たのはいつ、どういう理由でなんですか。

 最初は益子を紹介されたのだけど、広くて作家も多くて、向いてないなと。笠間は歴史はあるけど親分のような窯はなくて、自分でもやれそうだと感じたんです。1年だけ石川県の九谷で轆轤(ろくろ)や絵付けを習った後、笠間に窯を作りました。1976年、27歳の時です。外から来た窯が多く、私は50番目のよそ者でしたから、形式に囚われることなくやれました。笠間焼は関東ローム層から出土する良い陶土があって発展したのですが、現在は採取できず、全国から取り寄せています。それもあって、たまたま笠間に住んでいる人が焼いてますよという感じで、自由に作品が作れる気風が培われていますね。

 私の作品も、伝統的な技法をベースにしているわけではなく、自分の生き様がベースになっています。だから作風は常に変化していて、何十種類と変えて作っています。ほとんど同じものは作りません。

──作品作りで心掛けていることはありますか。

 意外と人の意見を無視しないことです。自分では出来が悪いと思っていても、『これは良いですね!』と言われ、びっくりすることがあります。そうした時は無視しないで反省材料として取っておきます。以前、伝統工芸展などに出品せず、個展だけで新作を発表していた時期があるのですが、ある人に「このままじゃ残っていけないよ。また出したら」と言われて出すようになりました。言われなかったら出してないでしょうね。

──その日本伝統工芸展の締め切りが近いですが。

 もう出品作品はできています。それを聞いて今日見に来る方がいます。東日本で初めての陶芸専門の美術館・茨城県陶芸美術館の金子賢治館長です。

種類の違う窯を作品づくりに活かす

──こちらには登り窯もありますが、火を入れると一週間くらい焚きつづけるとか?

 5日間ですね。焼く物の種類や目的によって、電気窯、ガス窯、登り窯、穴窯を使い分けています。登り窯は山の斜面に作ることで、炎の熱を余すことなく利用し、少ない薪で多くの作品を焼き上げることができる効率的な窯です。1番下の部屋の温度を約1300ºCまで上げると、余熱で2番目の部屋は約1000ºCまで上がります。その2番目の部屋の横から薪を入れ、1300ºCに上げていきます。この繰り返しで3番目、4番目の部屋も同時に焼き上げることができます。若い頃は3人くらいで焼いていましたが、最近はアルバイトをお願いして、6人体制の3交代でやっています。

──窯の違いによって作品はどう変わりますか。

 登り窯は、薪の灰が作品に付着することで変化が出ます。また窯の中は酸素量が非常に不安定になるため、同じ釉薬を使っても色合いが違います。電気窯やガス窯は、磁器などきれいな物を焼くのに適しています。穴窯ではいろいろと遊んで試行錯誤しています。

工房内には、1人の作家のものと思えない多彩な作品が並ぶ。

4連の登り窯。奥は単独の穴窯。

茨城県陶芸美術館の金子賢治館長(右)も寺本ファンの一人。

銀彩は経年変化で味わいが出る

銀彩鉢(2012年)

銀彩花器(2012年)

──不思議な銀彩はどうやってできるのですか。

 純銀は約962ºCで溶けてしまうので、高温の窯で焼くと流れ落ちてしまいます。そこで、生地に釉薬をかけて高温で焼いた後、青釉をかけ低温で焼きます。その上に銀彩をして焼き付けます。銀彩部を手で触れると表面に凹凸を感じますが、これは上絵として釉薬の上に銀彩を施した証拠です。上絵である以上、銀は次第に酸化して「いぶし銀」と呼ばれる少し黒ずんだ状態になります。その変化も味わってください。

──人気があっても同じものは作らないのですか。

 作ってほしいと頼まれて作ることもあるけど、お金が儲かるから作るというのは嫌なんです。デザインは全部違います。本当は同じ技法は2年以上やりたくないんですよ。とはいえ、新しい試作はダメなものが多くて、壊してます。先日も4トンダンプ1台分の壊した陶片を出しましたが、人の意見に耳を傾けつつ、新しいものにチャレンジしていきたいです。

聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。

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