生涯学習情報誌
鬼の学び ―鬼塚忠のアンテナエッセイ―
7. 大切なのは、学んだことを後世に伝えること
インターネットで検索すれば簡単に知識が手に入る時代になった。そんな時代に重要なのは「単純な知識」ではなくて、「学ぶ姿勢」ではないかと冨島佑允氏は言う。これからの生涯学習のヒントを冨島氏に伺った。
鬼塚 本日はお忙しいところありがとうございます。そして新刊おめでとうございます。この新刊『日常にひそむ うつくしい数学』(朝日新聞出版)は、難しい数学を面白いものと捉え、読者を惹き付けていますね。どういう内容で、どういう目的で書かれた本なのですか
冨島 何気ない日常に潜む数学の神秘について、読者と一緒に考えていく本です。大人向けの教養本ではありますが、小・中学生にも分かる平易な言葉で書いています。構成としては、「かたち」「かず」「うごき」「とてつもなく大きなかず」の4章からなり、各章に複数の話題が収められています。色々な話を盛り込んで、子供から大人まで楽しめる本を目指しました。
鬼塚 4つの切り口から数学を味わうというコンセプトは、とても面白いと思います。例えばどんなことが書かれているのか、いくつかご紹介頂けませんか?
冨島 例えば、さまざまなものの「かたち」。雪の結晶、シマウマのしましま、巻貝の螺旋形……。何気ない日常の「かたち」には、数学の法則が隠されています。ハチが六角形の巣を作るのは、お洒落だからではありません。あのかたちには、人間顔負けの数学的かつ経済学的な理由が隠されているのです。かたちの法則を理解すれば、ドラえもんの四次元ポケットの中だって“見る”ことができてしまいます。
さらに「うごき」はどうでしょうか。生物の法則をコンピューター上で真似した「ライフゲーム」というものがあります。ライフゲームでは、コンピューターの画面が格子状に区切られ、それぞれのセルが白か黒に塗られています。これらのセルは生物をイメージしたもので、 黒は「生」、白は「死」に対応しています。実際の生物はデリケートで、仲間が多すぎても少なすぎてもうまくいかず、適度に仲間がいるときだけ繁栄できます。これに倣って、黒のセルは、周囲が人口過密か過疎の場合は死んでしまい(白になる)、適度に仲間がいる場合は生き永らえたり子供を産んだりします。
不思議なことに、ある特定の配置で黒を並べた状態からライフゲームをスタートさせると、セルの生死(白黒) が目まぐるしく変わっていき、やがて「シェルピンスキーのギャスケット」という、ペルシャ絨毯のような美しい幾何学模様が現れます。コンピューターの中で繰り広げられる生と死の物語が、神秘的な幾何学模様を描いていく。数学の不思議を感じる瞬間です。それ以外にも数多くの話題を紹介しています。
鬼塚 私も拝読させて頂きましたが、とても面白い内容で引き込まれました。数学が苦手な人も、これを読んだら数学に親近感を感じるでしょうね。ところで、執筆のきっかけは何だったのでしょうか?
冨島 もともとは、出版エージェントの方から、このような本を書いてみないかというご提案を受けたのが執筆のきっかけでした。ちょうどその頃は長男が生まれたばかりで、その子が12歳くらいになったら読んで欲しいなと願い、書くことを決意しました。
鬼塚 ほお、自分の息子の将来のために、ですか。だから本も丁寧で愛情が込もっているのですね。 本誌『生涯学習情報誌』は文字通り、学びがテーマ。学びというのは、自ら学ぶということも重要ですが、その知見を後世にどう残すかもとても重要なことです。冨島先生はどう思われますか?
冨島 日本の学校教育では、教える内容や方法が文科省によってガチガチに決められています。それに素直に従える子はいいのですが、教える側(大人や教育制度)に柔軟性がないために、勉強を面白くないと感じ、挫折してしまう子も多いと思います。そんな子にとって刺激になるのは、家族や地域の誰かが、大人になっても学びを楽しんでいる姿です。
若い世代にとって、知識を得ること自体は容易です。インターネットで検索すれば、およそ何でも調べることが出来るからです。そんな時代にあって、本当に伝えるべきなのは単純な知識ではなく、「学ぶ姿勢」だと思います。学校で学びを“強制”されている子供達にとって、強制されずとも自主的に学んでいる大人の姿は驚きであり、輝いて見えることでしょう。そうやって背中を見せることで、次の世代が育っていくのだと思います。
鬼塚 日本がアジアの中で、早くから先進国になれたのも、早くに知に目覚め、江戸時代に寺小屋があり、世界でもっとも識字率の高い国になり、その知が後世に引き継がれ、それが今の繁栄の礎になっている。知が国家に蓄積されていくことが重要だと思います。
冨島 20世紀初頭は、日本の労働人口の約7割が第一次産業に従事していましたが、今は5%程度に過ぎません。ますます多くの人が、単純な肉体的労働力でなく、知識や技能を提供することで生計を立てています。このような歴史の流れを読みとった経営学者のピーター・ドラッカーは、今から四半世紀ほども前に、知識こそが国富の源泉だと主張しました。
国家の繁栄は、知を生み出し、それをもって心と生活を豊かにしていく以外に道はありません。これからは、車の運転などの単純労働はAI(人工知能)が担っていくと言われています。そうすると、人間は他のところで価値を発揮することが求められ、文化・教養がますます重視されていくでしょう。
また、平均寿命が延びていき、人生100年時代といわれるようになりました。そんな中で、学校教育のたった20年前後だけ勉強をして、残りの8割の人生は学ばずに過ごすということでは、人生を豊かなものにするのが難しくなっています。一生学び続けることが当たり前の時代に、私たちは生きているのです。
鬼塚 時代は変わっていく。だから過去にはなかった新しいものを学ばなくてはならない。学びにも取捨選択がいるかもしれない。今の日本の知のなかでもっとも後世に伝えるべき知はなんでしょう?
冨島 その昔、教養・学問といえばアリストテレスという時代が千年以上続きました。しかし今は、多くの偉人が様々な思想を遺し、無数に分かれた専門分野から膨大な知識が毎日のように生み出されています。 そんな中、「教養といえばこれ」という定番のような ものを決めるのは難しくなってきました。面白いもの、学ぶべきことが多すぎて、一人では到底カバーしきれないからです。ですから、これからの時代は、生涯学んでいくべきテーマをそれぞれが取捨選択し、自分に相応しい学習分野を自分で見つけていくことが求められます。お隣さんと知っていることは全く違う、でもどちらも教養人だということです。
数学、日本文化、舞踊、映画、歴史……一言に「教養」といっても、様々なジャンルがあります。「教養の多様化」が進む中、どのような教養を身につけるかの選択眼が試されるようになっています。
鬼塚 冨島先生は、最近はどのような学びをされていますか?
冨島 私自身は昨年から今年にかけて、仕事帰りに大学院に通ってMBAを取得しました。学んだ知識は仕事に役立っていますし、志を持つ仲間と知り合えたことも一 生の財産になりました。また、昨年は米国の証券アナリスト資格(CFA: Chartered Financial Analyst)を取得しました。これは、経済や金融の国際的なプロフェッショナルを認定する資格で、資格試験を通じて多くの有用な学びがありました。今後も、このような学習は続けていくつもりです。
鬼塚 本日はありがとうございました。
冨島佑允(とみしま ゆうすけ)
1982 年福岡県生まれ。京都大学理学部・東京大学大学院理学系研究科卒。院時代は素粒子実験プロジェクトの研究員として活躍。その後メガバンクで国債や株の運用を担当し、ニューヨークでヘッジファンドのマネージャーを経験。2019 年に一橋大学大学院でMBA in Finance の学位を取得。国際的な金融マンであると同時に、科学における最先端の動向にも精通している。著書に『「大数の法則」がわかれば、世の中のすべてがわかる! 』(ウェッジ)、『この世界は誰が創造したのか─シミュレーション仮説入門』(河出書房新社)、『日常にひそむ うつくしい数学』(朝日新聞出版)がある。
鬼塚忠(おにつか ただし)
1965年鹿児島市生まれ。鹿児島大学卒業。卒業後、世界40か国を放浪。1997年から海外書籍の版権エージェント会社に勤務。2001年、日本人作家のエージェント業を行う「アップルシード・エージェンシー」を設立。現在、経営者、作家、脚本家として活躍。「劇団もしも」も主宰している。
著書:『海峡を渡るバイオリン』(2004年フジテレビ45周年記念ドラマ化。文化庁芸術祭優秀賞受賞)、『Little DJ』(2007年映画化)、『僕たちのプレイボール』(2012年映画化)、『カルテット!』(2012年映画化)、『花戦さ』(2017年映画化。日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)など多数。
http://www.appleseed.co.jp/aboutus/aboutceo.html