生涯学習情報誌
理事長対談
輝き人のチャレンジと学び
第4回 青木涼子さん
生涯学習開発財団理事長・横川浩が各界で活躍される輝き人にお話を伺うシリーズ。自分の目指した道で能力を伸ばすためのヒント、そして人生の転機における新たなチャレンジや学びついてお伝えします。第4回は、能楽の「謡」の表現で国内外の音楽家とコラボし、現代音楽として新たなステージを切り拓く、「現代のミューズ」とも称される能声楽家の青木涼子さんです。
あおき りょうこ●能の「謡」を現代音楽に融合させた「能声楽」を生み出し、2013年テアトロ・レアル王立劇場での衝撃的なデビューを皮切りにヨーロッパを中心に活動。これまで世界20か国55人を超える作曲家たちと新しい楽曲を発表。名門オーケストラと共演するなど世界からのオファーが絶えない、現代音楽で最も活躍する国際的アーティストのひとり。
能楽700年のDNAを抱き
謡で世界初の音楽を拓いていく
横川 前回までのゲストは、私自身が長くお付き合いのある方でしたが、青木さんは本日初めてお会いする方で、能声楽という新たな分野で世界的に活躍されています。ドキドキする緊張とともに、未知のお話が聞けるワクワク感を持って、この場に臨んでいます。
実は誤解していたところがあり、700年の伝統がある能の世界で、新たな表現やジェンダーギャップも含め、風穴を開けようとされているのかと思っていたのですが、そういう気負ったチャレンジとは違うのですね。
青木 はい。能楽の謡という歌唱技術を活かして、現代音楽の分野でまったく新しい音楽表現にチャレンジしているのです。
横川 「能声楽家」という肩書もご自身で考えた新語なのですか。
青木 最初はどうしても、新しい能をしている人間と捉えられ、想像していたのと違うと言われることがよくありました。私の公演は、能面はつけていないし、舞わないし。ですので、誤解のないネーミングを考えました。
横川 なぜジャズやポップスではなく現代音楽とのコラボを選んだのですか。
青木 現代音楽はクラシックの延長上にあるからです。バッハやブラームスも当時は現代音楽でした。逆に、今の現代音楽も100年後にはクラシックと呼ばれることでしょう。それまで音楽素材ではなかったもの、ピアノや弦楽四重奏以外の表現も研究して、作曲家が新しく曲を作ってきた歴史が現代音楽にはあるのです。1960年以降、尺八や琴など和楽器を用いた曲も作曲家がたくさん作ってきています。なので、謡を活かすにはこのジャンルが一番いいのではないかと選びました。
初めて能を観てカッコいいと思った
横川 予習として青木さんのCD「夜の詞 能声楽とチェロのための作品集」を聴かせていただきました。シンガーですから当然ですが、引き込まれるいいお声をされてますね。
青木 ありがとうございます。子供の頃から声が低くて、みんなで合唱するときなどはキーが合わずコンプレックスでしたが、能の謡の表現にはそれが合ってたんですね。
横川 14歳で能を習い始めたそうですが、なにか今につながる予感があったのですか。
青木 小学生の夏休みに、家族で奈良にお寺を見に行きました。父親が建築家でお寺の設計を頼まれたのです。「すごくつまらい夏休みになりそう」と、子供心に思ったのですが、行ってみたら日本文化の素晴らしさと空間の美に感動したんです。それまでクラシックバレエをずっとやってましたが、伝統的な日本文化も学びたいという気持ちになりました。あるときテレビで解説付きの能の舞台を観て惹かれ、近くのカルチャースクールに通い始めたのが原点です。子供時代に、バレエと能という和洋の舞台芸術に惹かれて学んだことは、まちがいなく今につながっています。
最初の能のお稽古の日、舞う気満々で行った私に先生が「能は謡が大事。まずは座って謡いなさい」と。そうしたら低い声が合ってたこともあり、独特の深みのある謡い方に魅力を感じていきました。
能楽師でも研究者でもない道を模索
横川 先生の勧めで東京藝大に進学されますが、そこで磨いたのは伝統的な能ですか。
青木 能楽観世流シテ方専攻という、代々能楽師の家の方が大多数のところで、修士課程を含めて6年間、基本的に実技でした。座学はほとんどなく、試験も能の実演です。
横川 その後、ロンドン大学の博士課程に留学し、博士号を取得されていますね。
青木 東京藝大の6年はどっぷりと能の世界に浸かっていたので、少し外から能を見るのもいいのではと思い留学しました。そのときは研究者になりたいと思っていて、ヨーロッパ最大の日本研究科があるロンドン大学にしたのです。
ところが600ページの英語の博士論文が、指導教官から「もっと客観的にものを見なさい」とさんざんダメ出しされました。東京藝大の中は特殊で、能のことは「あれ、それ」で、1言えば10伝わる環境でしたので、私は能のことを客観的に見るということができていなかったんですね。能を知らない人に能を説明する、それを英語で客観的に書くという経験が、すごく勉強になって今につながっていると思います。
横川 博士論文は「女性と能」というテーマですが、やはり女性は少ないのですか。
青木 東京藝大の同期では私1人でしたが、他の学年にはもう少しいました。
歌舞伎の創始者とされる出雲阿国のように、能も初期の頃は、女性も猿楽の舞台に立っていたのです。ただ、能も歌舞伎も人気が出るにつれ売春や風紀の乱れが目に余るようになり、徳川幕府によって女性の舞台出演が禁止されました。次に女性が公共の舞台に立つのは明治になってからでした。現在もプロの女性能楽師は少ないのですが、お稽古人口の大半は女性です。なので能楽を支えているのは女性と言えます。
歌舞伎は、男性が女性を演じるのが芸として定着し、未だに女性は舞台に立てません。能のシテ(主役)は面をつけるので、男も女も関係なさそうですが、やはり声質の差はあります。能で女を演じる場合も、女の声色ではなく男性の声による謡で表現します。そこに女性の声が入ることに違和感を持つ人は多いのかもしれません。私は逆にその声を活かして、伝統的な能の世界でも研究の世界でもない、第3の道として、謡を現代音楽として活かす道を選ぶことができたのです。
横川 能の主役のシテはこの世の者ではない設定だそうですね。観ている人が想像し、それぞれ感じ方が違っていい。それを逆に共有するという面もある。そうした点で、能はもともと現代音楽とは相性が良い気がします。
青木 能の謡は、ベートーベンと何かやれと言われたら難しいですが、不協和音的な要素が多い現代音楽とはすごく合います。抽象性とちょっとした空白があって、想像力を働かせられます。
ヨーロッパでは、現代音楽だけのコンサートや、クラシックのコンサートに1曲だけ現代曲が入っていることもあたりまえ。お客さんも新しい曲として私の謡を聴いてくれ、「なんだろう、聴いたことない不思議な声は。今日の歌手はソプラノじゃないけど面白いね」などと評価してくれる。後から日本の能だと知る。それをきっかけに日本の伝統文化や日本自体に興味を持ってくれたら、うれしいなと思っています。
現代音楽の作曲家に曲を依頼
横川 藝大在学中から他のジャンルとのコラボレーションをしていたのですか。
青木 学生のレベルですが始めていました。私は能の家出身じゃないので、縛られることなく好きなことができたのです。さらに大きなきっかけは、作曲家の湯浅譲二先生がずいぶん前に書かれた謡と西洋楽器のアンサンブル曲があって、何十年かぶりに再演したいから、謡わないかと声をかけていただいたことです。
横川 新曲委嘱世界初演シリーズ「現代音楽 × 能」を始めたのは2010年ですか。
青木 はい。それまではオファーがあれば受ける形でしたが、2010年から自ら動いて、港区の助成金も受けて、世界の作曲家に依頼して曲を書いていただき、楽器と謡のコラボをする活動を始めました。今のところ20か国55人以上の作曲家が曲を書いてくれています。
謡とチェロの曲だったり、謡と弦楽四重奏の曲だったり。さらにその作曲家が「謡とオーケストラの曲が書きたい」と言って、オーケストラから依頼が来るなど、シリーズ以外にもどんどん広がっていきました。
横川 最初に依頼した相手は能を知っている方だったのですか。
青木 いえ、知りません。一番難しいのがそこで、日本人、外国人を問わず、現代音楽の作曲家さんは能のことを知らない方がほとんどです。音楽構造が全然違って、能の楽譜はお経みたいな感じです。最初は作曲家さんと無我夢中で曲をつくっていましたが、作曲家が能のどういうところを知りたいのか、ニーズは何か、だんだん分かってきたので、それをまとめたWEBサイト「作曲家のための謡の手引」をつくりました。作曲家が見て、西洋音楽と謡の違いと関連性が「あ、なるほど」と分かるようにしたのです。それからは直接会えない作曲家にも依頼しやすくなりました。
横川 それをご自身でつくられたということは、素材となる英語の文献やテキストがほとんどなかったということなんですね。
青木 はい。英語の文献も、能の台本を訳したものや場面の音楽の解説などはあるのですが、作曲家目線でぱっと見て分かるという資料はありませんでした。現代音楽の世界ではそういうサイトはよくあって、たとえばトロンボーン奏者が、従来の奏法だけでなくこんな特殊で新しい奏法ができますと、新しい曲を書くヒントになるサイトをつくっていました。似たようなものをつくれないかなと思ったのです。
私たちも、能の従来の習い方で日本語で学んできたので、西洋音楽から見た謡の資料というのが日本語でもないのです。作曲家の人と、相談しながらサイトをつくりました。
誤解から名作が生まれてもいい
横川 楽譜は理解できたとしても、謡の面白さみたいなものを理解してもらえないと始まらないですよね。そういう機会は積極的につくられているのですか。初めての方にいきなりお願いすることもあるのですか。
青木 まずは知り合いを通じて打診して、動画だけでなく実際の公演に招待して興味を持ってもらうこともあります。初めての相手にも、その人の曲が好きでダメ元で頼むことはあります。その時は無理でも、「こんな声なんだ」と知っといてもらえたら何年か後に「書きたい」と連絡がきたりもするのです。
横川 基本的な謡い方は、能の謡から引用して謡うのですか。
青木 いえ、それぞれ違います。作曲家さんが謡の部分も作曲してきます。古典の通りに謡ってほしいという指示もありますが、大半は作曲家のオリジナルです。ですから作曲家にとってはけっこうハードルが高いはずです。テキストもみんな好きなのを選んできます。俳句や短歌を勉強して「藤原定家で書きたい」とか、宮沢賢治の死ぬ間際の詩を素材にしてきたイタリア人もいらっしゃいました。よくそんな詩を見つけてきたなと感心するほどです。
私は能に似たものをつくりたいわけではなく、700年のDNAが進化させた新しい芸術を作りたいのです。能をよく理解して能らしくつくってほしいとは思いません。作曲家によっては楽譜をグラフィックのように書く方もいらっしゃいますが、その人の個性で新しい曲を書いてほしいのです。能のリズムはこうだからと私が勝手に変えることはしません。
横川 多様な感性の方とのコラボレーションですから、まったく予想がつかない不安と、わくわくと、両方ありそうですね。
青木 能の常識とはまったく違った視点で解釈した曲ができることもありますし、もはや謡でさえないなということもあります。しかし、長い芸術の歴史では、誤読とか誤解によって画期的な作品が生まれるということが起きてきました。そういうのが面白いのです。日本の伝統文化である能が影響を与えてそれが生まれると想像すると、すごくうれしく感じます。伝統を守る能楽という背景があるからこそ、そうではないチャレンジが面白いと思えるのです。
横川 伝統派からバッシングされるなど、苦難を乗り越えてのチャレンジ、といったストーリーも当初は想定したのですが、なかったですか。
青木 バッシングはないですね。そもそもジャンルもマーケットも違うので。
苦難はけっこうありますよ。さんざん能をやってきて、自分の進むべき道がなかなか定まらなかったり、600ページの英語の博士論文に苦労したり。作曲家と噛み合わないこともありますし。でもネガティブに捉えないようにしています。
横川 今年もドイツ、スペイン、ポルトガル、オーストラリアなど、海外での公演が多いようですが、観客の反応が日本とは違うのでしょうか。
自分たちの文化を学ぶ大切さ
青木 ヨーロッパではジャンルに関わらず新しい音楽を楽しむ習慣があって、私の謡もその一つとして聴いて味わって、後から「これは日本の伝統の声なんだ」と知る感じですね。私の次の日にガムラン(鉄琴のようなインドネシアの民族打楽器)とオーケストラの共演があったりしても、日本だから良い、ガムランだから良いというのではなく、それぞれの楽曲の作品性や面白さを純粋に楽しんでおられます。
日本は伝統が強固で、他の国から見るとそういう伝統を長くキープしている素晴らしさを評価されていると思います。ヨーロッパ人も自分たちの伝統を大切にしつつ、そこから新しいものを見出していくのがすごく上手で、いつも感心します。演奏者の方も、バッハも弾くけど現代音楽も弾くことができる。自分たちの伝統が身体に染み込んでいるからこそ、その幅があるのではないでしょうか。
私は西洋に憧れてクラシックバレエを習っていましたが、日本の文化を知りたいとさらに能を学んだことで、ヨーロッパの観客とも通じ合える幅ができたのかなと思うのです。
横川 7月に浦和の二木屋さんという料亭でもコンサートをやられていますね。実は私の自宅はその近所なので、もう少し早く知っていたら行きたかったなと残念です。
青木 女将さんがずっと応援してくださっていて、いつかやりましょうというのが実現しました。コンサートのあとセッティングを変えて、皆さんとおいしい食事をいただく、とてもアットホームなイベントでした。
横川 サントリーホールのような会場だけでなくこういう規模でもお呼びすることが可能なら、当財団の交流会で会員の方々にご披露する機会を持てるかもしれませんね。
青木 実現できるとうれしいです。
横川 またすぐにドイツに発たれるそうで、エネルギッシュなスケジュールを拝見して驚きました。応援する立場からは、少し身体もいたわりつつご活躍いただければと思います。
青木 やはり世界に日本の良さが伝わるとうれしいのです。身体はきついときもありますが、音楽の力で日本と他の国の懸け橋になれたらと思っています。12月21日(水)19時より紀尾井ホールにて室内オーケストラとのコンサートもあります。ぜひお越しいただきたいです。
横川 本日はありがとうございました。