生涯学習情報誌

理事長対談   
輝き人のチャレンジと学び

第2回 坂東眞理子さん 第2回 坂東眞理子さん

昭和女子大学理事長・総長
一般財団法人東京学校支援機構理事長

当財団理事長・横川浩が各界で活躍される輝き人にお話を伺うシリーズ。自分の目指した道で能力を伸ばすためのヒント、そして人生の転機における新たなチャレンジや学びついてお伝えします。第2回は、『女性の品格』で有名な坂東眞理子さんを、理事長・総長を務める昭和女子大学に訪ねました。二人が省庁在籍のまま留学したハーバード大学で始まったご縁です。

ばんどう まりこ●1946年富山県生まれ。69年東京大学卒業・総理府入省。78年に日本初の『婦人白書』執筆を担当。男女共同参画室長、埼玉県副知事、女性初の総領事(オーストラリア・ブリスベン)、内閣府初代男女共同参画局長などを務め03年退官。昭和女子大学理事、教授などを経て、現職。06年の著書『女性の品格』は320万部を超える大ベストセラー

成功ばかりじゃないけど
自分の得意なことから始めれば
意外とできるもの

横川 お忙しい中、対談を快くお受けいただきありがとうございます。私と坂東さんのご縁は、1980年に留学したハーバード大学で同席したときからになります。当時、坂東さんは日本初の『婦人白書』をまとめられた後で、実は、霞ヶ関に名を響かせた女性が来ていると知ったうえでの、興味津々の出会いでした。

坂東 こちらこそ思い出していただき、ありがとうございます。

横川 そういうご縁ですので、まずは留学された経緯や目的をお聞かせいただけますか。

坂東 『婦人白書』のご褒美というわけではないですが、日本の女性の問題に詳しい人間ということで、ハーバードの客員研究員として選んでいただいたんです。社会で活動するミッドキャリアの人を1年間招いて、自分の研究をしてくださいというプログラムでした。

アメリカの女性が羽ばたいていた理由

坂東 その時の私の問題意識は「どうしてアメリカではこんなに女性が活躍しているんだろう。日本はできてないのに」。その秘密を探りたく、ボストン近辺にある企業の幹部クラスの女性25人にインタビューしました。冬のボストンは寒いのですが、住所を頼りに地下鉄に乗って、それこそ吹雪の中でオフィスを探してうろうろしたのを思い出します。

横川 アメリカの先行事例を調べて、その後の日本における女性活躍社会発展に、大きな役割を果たされたわけですね。

坂東 実は、アメリカの女性も初めから羽ばたいていたわけではなかったのです。1964年に、黒人、女性、その他マイノリティを差別しないという、市民権法ができましたが、アメリカでさえ当時、「こんな馬鹿げた法律は通らないだろう」と思われていたそうです。日本の雇用機会均等法は85年にできているので、日本よりも早いけどそんなに昔ではないのです。

彼女たちが口々に言っていたのは、まだ男性に比べて女性は差別されていて、ロールモデルがない、ネットワークがない、メンターがいないということでした。その後の日本でも、女性がやっと社会へ進出してくると、同じことを言い始めるんですね。

共通点と同時に、随分違うなと痛感したことがあります。アメリカの女性たちが自分の権利を主張し、守る意識の強さです。もし権利を侵害されたら訴訟をして、勝って、相手は莫大な賠償金で痛い目をみるんです。

それに比べて日本では、できた法律も努力義務とか、強制力がないものです。「みんなで、その方向で努力しましょうね」となる。コロナ対応もそうですけど、みんなの合意を取り付けて、やわやわと進んでいきます。変化するスピードの違いを感じます。

当時の私は、チームワークでみなの意見を尊重するやり方を、日本の良いところだと思っていました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか誉めそやされて。でも気がついたら、女性の社会進出でいえば、世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」で、日本は156か国中の120位。日本国内だけを見ると、女性がどんどん登用されているように見えますが、他の国の変化のスピードに比べると遅くて、最後方グループになっているというのが現実です。

ハーバードで感じた生涯学習の喜び

横川 ハーバードといえば、大学で最も歴史あるクロコディロスという男声アカペラ合唱団があって、選抜された12人のメンバーが毎年夏休みに世界を周るのですが、その日本公演を財団の国際交流事業としてプロデュースしているのですよ。

坂東 そうなんですか。ぜひ昭和女子大学の人見記念講堂でもやってほしいですね。

横川 広中平祐さん・和歌子さんとのご縁もハーバードでの思い出の一つですね。お二人を見ていると、80、90歳まで学び続けることを体現されていて教えられます。

坂東 広中ご夫妻もそうですし、いろんな方と出会いました。アメリカ人のルーシーさんというユダヤ系の方とも40年ご縁が続いています。公務員の世界から別の世界に1年間身を置いたことが、その後の人生をとても豊かにしてくれていると感じます。

横川 当財団の前理事長・松田妙子さんは、亡くなる92歳まで現役で、いろいろな日本社会のあたりまえを打ち破ってきました。その一つが「生涯学習」の提言と実践でした。戦後、独学で英語を学んでアメリカ留学し、テレビ局に自ら売り込んでプロデューサーとして活躍しました。帰国後は、日本初のPR会社を起こし、住宅政策に深く携わった経験を生かし、71歳で東京大学の博士号を取得した人ですが、坂東さんはご存知ですか。

坂東 はい、何度かお目にかかったことがあります。いろんな面で大先輩ですね。お会いしたときは確かに「日本の住宅のレベルをもっと引きあげなくちゃ」と仰ってました。

私がハーバード留学で感じたもうひとつが、「仕事に就きながら大学で自分の研究をできるって、なんて楽しいことなんだろう!」と生涯学習の喜びを得たことです。ですので、財団さんの活動意義は大きいと思います。

昭和女子大にもそんな場があるといいなとずっと思っていて、「現代ビジネス研究所」という社会人を対象にした研究所を2013年につくりました。働きながら、もう一度大学で研究したい、勉強したい方は来てください、仕事を休まなくてもできますよということで、約100名の研究員がいらっしゃいます。

自分の実務経験を学生に伝えたり、教員といっしょに教壇に立ったりもしてもらっています。また、企業や自治体との協働プロジェクトに学生とともに参加していただくとか、いろんな活動をしていただいて、けっこう楽しんでいらっしゃいます。

集中的な学びが必要な時代

横川 当財団の事業の一つ 「50歳以上の博士号取得支援」の合格者は女性が4割で、年によっては6人中5人が女性だったときもあります。また財団が認定する協賛会員の資格を取得して、自分の講座を持って教えている方もたくさんいます。ですので財団周辺では女性が活躍しているのはあたりまえなのですが、坂東さんが総理府婦人問題担当室の最初の担当官となられた当時と現在を比べて、変わったと思うのはどんな点でしょうか?

坂東 学び直しというか、途中でバッテリーチャージすることが本当に大事になったと思いますね。人生が短い時代は22、3歳までに勉強したことでなんとか走りきれたかもしれませんが、変化が早くなったいま、片手間の勉強ではなく、途中で集中的に勉強しなければいけないと、ひしひしと感じます。

一度社会に出てからも、もう1回でも2回でも勉強して別の仕事について、生涯現役で活躍するようにしないと、自分たちの人生は豊かにならないし、社会も保てなくなってきているのだと思いますね。

横川 坂東さんの経歴を拝見すると、「女性初の」とか「初代の」といった枕詞がつくことが多いです。初であるが故の周りの方との多少の違和感みたいなものを、前向きな刺激にして活性化するような能力と人柄があるのではないかと。それこそが、初ものキャリアを成功させてきた秘訣でしょうか。

「初の」キャリアを成功させる秘訣?

坂東 決して成功ばかりじゃないですけど、よく言われるのは、90%成功する自信がないと一歩を踏み出さない人と、51%の自信があれば踏み出す人がいて、私は後者だろうと思います。自信がなくてもその場に置かれることで、意外とできるんだという発見や、喜びがあったと思います。

横川さんも共感されると思いますが、自分は公務員らしくないと思っていてもやっぱり公務員なんですよね。それが大学というまったく違う世界に来て、しばらくは「眞理子・イン・ワンダーランド」と言ってたくらい価値観が違う世界でした。公務員だと上司がいて部下がいて組織で動いていくのが当たり前ですが、大学では教授一人一人が一国一城の主で、専門的な研究や教育をしていて、どうしてこれで組織が動いていくんだろうと不思議だったのですよ。3年、5年経つうちに、ここはこういう論理で動かせばいいんだとわかってきました。

新しい世界に入るのは最初は怖いです。でも、すぐには適応できなくても、自分の知らなかった才能を発見することもありますよね。横川さんはその典型で、陸上競技連盟の会長になられたのに驚きました。

横川 埼玉県の副知事もそうですし、ブリスベンの総領事も初の女性でしたよね。

坂東 埼玉の時も地方自治はまったく初めてで、「地方自治法を読んだことあるの?」と嫌味を言われるくらいでした。通常はそういうケースでは出身官庁からも何人か一緒に行って助け合うものらしいのですが、私は一人っきりで最初は知らないことばかりでした。

それでも、自分のできることはなんだろう、地方自治全体のことはわからないけど、女性や高齢者の問題ならわかるなと、自分の得意な分野から広げていった感じです。

ブリスベン総領事のときも、外務省の仕事は初めてで、プロトコルとか知らないことばかりでしたが、現地の方がとても気がよくて、特に女性たちが応援してくれましたね。

横川 繰り返しますけど、それは坂東さんの人柄なんだと思いますね。

坂東 ありがとうございます。たぶん横川さんもそうでしょうが、副知事も総領事も、組織から「行けと言われればどこだって行きますよ」という気持ちだったですよ。でも今の人は辞令を待つのではなく、「自分が行きます」と手を上げて一歩を踏み出さなくちゃいけないのじゃないかな。そういう意味ではまだ私も20世紀の公務員だったと思います。

『女性の品格』で伝えたかったこと

横川 2006年に『女性の品格』を書かれ、320万部の大ベストセラーになりましたが、伝えたかったことはなんですか。

坂東 当時、「稼ぐが勝ち」という風潮が蔓延し、第一線の女性たちも男社会の権力指向や拝金主義位に追従する流れでした。しかし、女性が社会進出するということは、男性のように生きることではありません。女性ならではの思いやりや優しさを生かして社会の役に立つことですよと伝えたかったのです。

デビュー作は『女性は挑戦する』というタイトルで、20代の女性はチャンスがいっぱいあるんだから挑戦しましょうよという内容でした。50代、60代になった彼女たちに、今こそ勉強し直して、チャレンジしなくちゃいけないと言いたいです。若い女性は見た目がいいし、素直だし、魅力的なんですよ。歳をとると、もう自分は人から好かれないと自己評価が下がりがちです。人生まだ40年も50年もあるのだから、諦めずに世の中に必要とされる知識や技術を身につける、今流行りの「リスキリング」が必要だと思います。

横川 2019年に出版された『70歳のたしなみ』という本も話題になっていますね。

坂東 「たしなみ」というと昔は、技能や教養を身につけているという意味でしたが、この本では、いつまでも自分を見捨てず学び続けることが「たしなみ」だと言ってます。

特に強調したのが「機嫌良く振る舞うこと」です。歳をとるとみんな機嫌が悪くなりがちです。機嫌の悪い人が近くにいると周りも気分が下がってきます。機嫌良く振る舞うことは周りの人に対するマナーなんですよ。それと同時に、哲学者のアランが言ってるように、「作り笑いであっても、笑っていると自分自身が励まされる」と。うわべというと悪い言葉のようですが、形から入るのも大事です。

機嫌良く振る舞うことは
周囲へのマナーであると同時に自身への励まし

女子大の存在意義は

横川 「愛語」という言葉を座右の銘としていらっしゃるそうですが。

坂東 仏教の「和顔愛語わげんあいご」(和やかな顔と思いやりの言葉で人に接すること)の愛語なんです。相手の立場に立って慈しんで発する音葉を使おうと。逆に、いくら格好いいことを言っても、心に愛がなければ相手には通じないということです。

横川 昭和女子大学の教育ではどのような点に力を入れておられますか。

坂東 昔の女子大は良妻賢母を育てることが役割でした。20世紀の昭和女子大はその点において評価は高かったのですよ。でも今は、夫を通じて、子供を通じてではなくて、自分自身が社会とつながって輝ける人になってほしい。その力をつけようとしています。

私もそうでしたが、ずっと男女共学の学校にいると、学力が高い人が能力があって、評価もされるはずだというフィクションを信じているわけです。でも実社会に出ると、いろんな能力が必要なんだということが痛切にわかるんですね。学力だけでなく女性の総合力を身につける場所として、女子大学は存在意義があると思うのです。

「もう20年、30年経って、女性だから男性だからという偏見や女性特有の悩みなどもなくなれば、女子大の役割も終わるけど、まだまだ女性だから乗り越えなくてはいけない課題があるので、それを乗り越える力を育むのが女子大ですよ」と言っています。

昭和女子大学の構内。写真中央の1号館最上部には象徴的なカリヨン(大小21の連鐘)が見える。毎日4回、学園のうたなどの音色を奏でる。

女性活躍のブルー・オーシャン

横川 海外留学にも力を入れていますね。

坂東 社会で必要とされる能力はなんだろうと考えました。すでに男性がたくさん活躍しているところに後から行っても不利です。じゃあ人材が不足している分野はなんだろうと。今なら情報でしょうが、当時はグローバル化が課題で、男性のグローバル人材も多くはありませんでした。女性は語学も得意なのでそこをプッシュすれば可能性があると、国際学科を2009年に、グローバルビジネス学部・学科を2013年につくりました。グローバルが女性にとってのブルーオーシャンではないかと、力を入れています。

もともと、1988年にアメリカで全寮制キャンパス「昭和ボストン」を設立し、上海交通大学とも協定を結んでいましたが、当時4校だった海外の協定締結校が今は43校に増えました。

ほかにも管理栄養士とか、学校の先生といった資格は以前から取れましたが、いざという時のためだったのが、それを専門職としてやっていけるように能力をつけなさいと指導しています。

私が来て取り組んだのは、入学者を増やすためには出口を充実させるということ。キャリア支援センターをつくって、就職を手厚く支援しました。その結果、実就職率は、卒業生1000人以上の全国の女子大で11年連続トップです。

横川 まさに坂東さんの手腕と人間力発揮という感じですね。最後に、現在チャレンジ中の人や人生の転機で迷っている人に、メッセージをいただけますでしょうか。

人の頑張りを応援し合いましょう

坂東 あなたの中にはあなたが知らない可能性があります。頑張ってたら力が湧き上がってくるし、頑張る人には出会いがあります。地獄で仏様が救ってくれます。本を書くときも、うまく表現できないで、もがき苦しんでいると、結果的にいい本ができることが多いのです。そういう積み重ねだと思うので、最初からできないからと諦めないでと言いたいですね。頑張ってる人には誰かが手を差し伸べてくれるし、いい加減にやってたら世界は開けません。

もう一つ、人が頑張っているのを「いいね」と励ます。人の成功を、こんちくしょうと思う人がいるでしょ。つい比較しちゃう。頑張っている人同士が、お互いに応援し合うようになっていただきたいです。

横川 坂東さんの言葉と同時に、生き方そのものがヒントになる方が世の中にはたくさんいらっしゃると思います。
本日はありがとうございました!

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