日本の技

インタビュー19 人形(博多人形) 中村信喬氏

人のために仕事をすると作品に魂が宿る

中村信喬(しんきょう)さんは作品をつくるとき、自我を排し、人のために仕事をすることを心がけるという。巨大なモニュメントなども手がける中村さんの思いや背景、中村家の仕事に取り組む姿勢を、2回にわたって紹介する。

聞き手上野由美子

人形(博多人形) 中村信喬氏
中村信喬氏
1957年
人形師・中村衍涯(えんがい)の長男として福岡に生まれる
1979年
九州産業大学芸術学部美術学科彫刻専攻卒業
1997年
伝統工芸人形展にて文化庁長官賞受賞
1999年
日本伝統工芸展にて高松宮記念賞受賞 
2005年
福岡県文化賞創造部門受賞
2010年
第1回金沢世界工芸トリエンナーレ招待作家
2011年
伝統文化ポーラ賞優秀賞受賞
ラ・ルーチェ展にてローマ法皇謁見作品献上
2012年
日本伝統工芸展無鑑査認定
金沢21世紀美術館 工芸未来派 招待作家
2013年
日本橋三越特設画廊個展
2015年
「菊池寛実賞 工芸の現在」展 ノミネート
現在
日本工芸会理事、九州産業大学芸術学部非常勤講師

博多人形から御影石で6トンのゴリラまで

――まず、博多人形について教えてください。

 博多人形は土物と言われ、粘土を素焼きして白い胡粉(ごふん)を塗った上に彩色した人形です。起源については3説あります。1601年、藩主の黒田長政が築城した際に、瓦職人の正木宗七が人形を献上したとする説。陶師(すえし)の中ノ子家が起源とする説。博多祇園山笠の小堀流山笠人形をくむ白水家だとする説。実際にはそれらの職人の技術が集約されて、小さな細工人形から山笠の人形飾りまで作られる中で、現在の博多人形が発達してきたのです。

――中村さんも大きなものを作られていますよね。

 はい。山笠の人形はもちろんですが、福岡市動物園に御影石の6トンのでかいゴリラを作りましたし、福岡空港に約5m×3mのモニュメントを作る予定もあります。博多は遣唐使の時代からずっと交易拠点で、常に新しい技術が入って、高度な技術者集団が生まれました。原型師といって、長崎くんちの龍の船とか、有田の柿右衛門らの造形物の原型を、博多人形師が作っていたそうです。うちもその1軒で、材料は土に限らずなんでも使います。木で彫れと言われれば木で、絵をかけと言われれば絵で、なんでもモノを生み出すのがうちなんですね。

代々続く人形師の家系

――幼い頃からお父様の仕事ぶりを見て育ったとか。

 祖父と父は人形師、母も人形師の娘で、生まれた時から人形師になるのが当たり前という雰囲気の中で育ちました。子供には父親の仕事ぶりを見せておくのが、代々続いてきた伝統なのです。仕事の様子が目に焼き付き、自然に人形制作に入っていきます。 しかし、技術は教わりませんでした。見たものを、工夫して作り続けていけば、技術は自然に身につくものとの教えです。私の息子も、そういった環境の中で育ち、3歳の頃から私の仕事風景を見ていました。5代目になる予定の孫は現在2歳ですが、すでに仕事風景を見せています。本人に興味と才能があれば、思春期までにデッサンを徹底してやって、絶対的な立体感を身体に備えさせます。

――ご自身が子供の時、大変だなと感じたことは。

 小さい時、父から「自分や祖父はなりたくてなったわけではないがここまで来た。おまえはなりたくてなったのだから、自分たちより上に行くのが当たり前だ。できないはずがない」とよく言われました。何度やっても上手くならないので辛い時期もありました。

 でも父は死の直前、「お前の好きなようにやれ」と言って、「右手を握れ、その手に渡してやる」と父の魂を私に宿してくれました。父も祖父から右手を握って受け継いだと聞いています。私もいま息子に言っています。「死ぬ時、目に見えない物を渡すから、それまでに器を作っておけ」と。人形は、他の工芸のように使う道具じゃないので、極端に言えば要らないものなんです。見るだけで幸せにさせる。だから純粋工芸とも言われる。技術があればきれいな人形ができますが、それだけでは人を惹きつけることはできません。技術だけでは、家族や職人を抱えて食べてはいけないんです。

人形作りには己の器を磨くことが大切

――技術よりも大切な、心構えのようなものですね。

 息子は東京芸大の大学院まで行って先日も大きな賞を取りましたが、そうなると、私もそうだったけど天狗になりがちです。だから草むしりや掃除の修業をして器を磨いてきなさいと。それをしないと人の気持ちがわかりません。人形は、たとえば「この子が健やかに育ちますように」といった、その人の祈りが込められています。自分は何のために仕事をしているのか、自分を捨てて人の役に立つということを叩き込まないといけないんです。自分を評価してほしくて作るのなら自分の部屋に飾っておけばいい。誰かのために作ったうえで、芸術性が高ければ工芸としても芸術としても通用すると。

――大学では学べない、中村家ならではの教えですね。

 人に役立つために仕事をすることを意識すると、作品はガラリと変わります。作品に魂が宿るのです。

 弟子にも常に勉強しろと言ってますが、「興味がある。作りたい。だから知りたい」という思いがあれば、そのための勉強は苦労じゃないんですね。「同じ眼と手があるのに、あの人にできて自分はなぜできないのか。できるようになりたい」と思いますから。(次号に続く)

聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。

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