日本の技

インタビューインタビュー6 陶芸 岩永 浩氏

土も釉薬も道具も自分で作る

有田でも独自の染付作家として知られる岩永浩さんは、すべての材料を自分で作り、すべての工程を自分の手で行う。水墨画の濃淡を応用した染付は、繊細で温もりがあり、人気が高い。

聞き手上野由美子

陶芸 岩永 浩氏
岩永 浩氏
1960年
佐賀県有田町に生まれる
1978年
佐賀県有田工業高校デザイン科卒業
1982年
水墨画家・金武自然先生に6年間師事
1985年
水墨画の濃淡を活かした染付の器の制作を始める
1995年
東京・青山にて初個展以来、全国各地にて個展開催
2004年
ニューヨークにて海外初個展
2014年
有田の作家として初めて渋谷の黒田陶苑で個展開催

全行程に関わってこそ出る微妙な色合い

――普通は土や釉薬は購入しますが、それら材料づくりから焼成まで、全部一人でやるのはすごいですね。

 評価いただいている生地の色合いや染付の微妙な変化は、自分が全工程に関わっているからこそ出せるのだと思います。
 もともと有田焼の土は地元の泉山の陶石で作られていたのですが、明治以降はより白い天草の土に変わっていきました。私の土は、友人の陶土屋さんに特注で、泉山の風合いで作ってもらっています。
 釉薬は近郊の6種類の石を砕き、松の皮などの灰を混ぜた灰釉です。江戸時代には灰釉があたりまえだったのですが、明治時代に量産化が始まると歩留まりが悪くなり、原料調達も困難となって使われなくなりました。日本の磁器発祥の地・有田ですから、灰釉の製法は残しておきたいと思い作っています。

 配合の仕方で微妙に仕上がりが変わりますが、材料を有田本来のものに近づけることで、古伊万里のような温もりを感じる肌合いと色合いになります。
 道具は、いい具合に二股に分かれた山の枝、取り壊す古い家の建具や煤(すす)竹などを入手し加工します。
 少数ですが他にも一人で器づくりをしている作家がいて、情報交換をして励みにしています。

――実家の家業を継いだわけではないのですか。

 父親はロクロで成形し納める素地(きじ)職人でした。家に窯はなく、グラフィックデザインの道に進むつもりでしたが、中学のとき父が急に窯を作ったんです。将来的に、父が成形して私が絵付けをする構想だったようです。ところが直後にオイルショックがあり、すぐに家業を手伝わざるを得なくなった訳です。
 もともと周囲には窯跡などがいっぱいあり、子供の頃から陶片を拾うのが好きでした。工房内で粘土のカスを拾って動物を作ったり、父がロクロを挽くのを見たりしていました。仕事が速くて、粘土がシュッと締まって器の形になるのはかっこいいなと思いました。なので、自然にこの世界に入っていった感はあります。

水墨画の技法で躍動感や品格を表現


――水墨画の技法が特徴ですが、モチーフはどのようにして選ぶのですか。

 モチーフは日本古来の模様、中でも山水文様や動植物の絵が多いですが、それらだけでは飽きてしまうので、街で見た現代の意匠やカメラで撮影したものなどがアイデアの源泉となります。絵を描きながら次のアイデアを考えるという感じです。金武自然(じねん)先生に習った水墨画の技法を活かせたのも、一人窯で、従来の路線に縛られず新しい表現にチャレンジできたからでしょう。器の模様として規格はずれなものが、その躍動感や品格を失うことなく、現代の食卓の器としてバランス良く仕上がると、私の中にひとつの達成感が生まれます。

――問屋を通さず、ギャラリーやデパートに自分で直接売り込んだそうですね。

 私の器の魅力を理解してくれる人には、なるべく安い価格で手にして欲しいからです。東京のデパートのイベントで絵付けの実演を頼まれ上京した際に、作品を持ってあちこちに売り込みにいきました。今でも東京の個展でのお客さまが一番が多いです。

 あるギャラリーのご主人に『売れると絶対に真似する人が出てくるよ』と言われました。しかし、絵柄は真似できても、制作工程や材料は簡単に真似できないでしょう。作る人間のスピリットも違います。私のファンはその違いがわかる人たちだと確信しています。
聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。

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