1983年からの財団の歩み1983年からの財団の歩み

健やかな学びとスポーツの発展に尽くした大森兵蔵健やかな学びとスポーツの発展に尽くした大森兵蔵

ストックホルム大会のオリンピック

日本が初参加したストックホルム大会のオリンピック。左から嘉納治五郎、大森兵蔵。旗手は三島弥彦選手。

妻とともに始めた社会福祉事業


大森兵蔵(1876-1913)

松田妙子の大伯父にあたる大森兵蔵は、岡山県出身。東京高等商業学校を卒業後渡米し、スタンフォード大学で経済学、国際YMCAトレーニングスクールで体育学を学びました。留学時に知り合ったAnnie B.Shepley、日本名 大森安仁子 (1856 -1941)と1909年に結婚。日本に帰化した安仁子とともに、1911年、恵まれない子供のための教育施設「有隣園」を設立し、社会福祉事業に尽くしました。

日本初参加のオリンピック監督として同行

兵蔵は、日本に初めてバスケットボールとバレーボールを紹介するなど、スポーツの楽しみや価値を伝えることにも熱心でした。素封家出身で語学にも秀でていた兵蔵は、東京高等師範学校の校長だった嘉納治五郎とともに、日本のオリンピック初参加を目指して、1911年、大日本体育協会を設立、理事に就任。その後、嘉納会長と日本オリンピック委員会(JOC)を設立し、1912年のストックホルム大会に向けて、予選会と代表選手派遣の事業に取り組みました。

こうして団長を嘉納、監督は兵蔵、陸上競技の三島弥彦選手と金栗四三選手、総勢4人の日本代表選手団は、1912年5月、スウェーデンのストックホルム大会にシベリア鉄道を利用して参加。しかし兵蔵はその帰国途中、結核を患い、1913年アメリカのパサデナで亡くなりました。

世代を超えて受け継がれていく志

「社会のために」という兵蔵の遺志は、妻・安仁子や姪・藤原澄子とその夫となった松田竹千代、そして竹千代の長女妙子に脈々と引き継がれていきます。竹千代は文部大臣として1964年に行われた東京オリンピックの組織委員となり、日本初のオリンピック開催のために尽力しました。

生涯を通じて、健やかに学び、社会を豊かにすること。兵蔵のこの想いは生涯学習開発財団にとって今も変わらない理想です。

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