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インタビュー18 陶芸 福島善三氏インタビュー 18
陶芸 福島善三氏

たくさんの試行錯誤から生み出される独自の作風たくさんの試行錯誤から生み出される独自の作風

17世紀頃から続くとされる福岡県の小石原焼。そこに代々伝わるちがいわ窯の16代目当主、福島善三さんは、原材料のほとんどを小石原で調達し、釉薬も独自に作成、すべての工程を自ら行う。その芸術性に優れた作品は、高い評価を得ている。

聞き手上野由美子

陶芸 福島善三氏
福島善三氏
1959年
小石原焼 ちがいわ窯に生まれる
1988年
第35回日本伝統工芸展にて入選、以降26回入選
1991年
第26回西部工芸展にて朝日新聞社金賞受賞
1999年
第15回日本陶芸展にて大賞桂宮賜杯受賞
2000年
宮内庁お買上げ「鉄釉掛分鉢」、以降3回お買上げ
2003年
第23回西日本陶芸美術展にて大賞受賞
第50回日本伝統工芸展にて日本工芸会総裁賞受賞
2004年
第14回MOA岡田茂吉賞展優秀賞受賞
2013年
第60回日本伝統工芸展にて高松宮記念賞受賞
東京国立近代美術館工芸館「工芸からKOGEIへ」に出展
2014年
紫綬褒章受章
東京国立近代美術館収蔵

貫入のない青瓷(せいじ)を創意工夫で作る

――福島さんの青瓷は薄くてシャープな感じですね。

貫入(かんにゅう:釉薬表面の細かいひび割れ)が入ると柔らかく見えるのですが、皆さんやってらっしゃいますので、逆に貫入がないのを独自にしてみようと。

例えば、焼くと粘土は約15%、釉薬は約25%縮むとします。縮みの差で貫入ができるのですが、その差をなくしてシンプルに粘土と釉薬を魅せている感覚ですね。小石原の粘土は元々細かいのですが、それをさらに濾(こ)していくと白い土がどんどん落ちて黒くなり、収縮率約25%の粘土ができるんです。さらに、そこにあえて砂を混ぜて収縮率を調整することもあります。

――「中野月白瓷(げっぱくじ)」と名乗っていますね。

このあたりは長く中野と呼ばれていて、うちの粘土山の地番も役所で見ると中野になっています。中野の粘土は独特で、鉄分が多く焼くと黒くなります。バックが黒いと色が出てくれません。そこで釉薬に藁(わら)の灰を入れます。藁ジロと言ってそれを入れると釉薬が白くなるんです。鉄分の還元焼成なのですが、一般的な青瓷の場合は水に鉄分を入れる感じ、私の技法は牛乳に鉄分を入れるような違いがあります。釉薬は5、6回かけます。釉薬が厚いほど色が白くなるのです。中国にも月白釉というのがありますが、それはもっと陶器っぽいですね。

作陶は小学生の頃から

中野月白瓷掛分鉢(2016年)

第50回日本伝統工芸展 日本工芸会総裁賞
鉄釉掛分条文鉢(2003年)

――最初から青瓷ではなかったのですか。

最初は緑の鉄釉です。その後赫釉、中野飴釉などがあり、今は月白です。一度賞をもらうと同じ作風の仕事ではあまり評価されません。賞だけが大事ではないけど、新たな表現にトライするきっかけになります。青瓷のようなシンプルに美しいものは、簡単そうで難しいです。

今までは曲げないように曲げないように作っていたのですが、今年は逆に曲げてやろうと思って、何てことするんだと批判もありますが、挑戦しています。ベースは轆轤(ろくろ)で、作ったあとに焼いて曲げるんです。ここの粘土は手びねりだと切れて作れないんです。だから伝統的に轆轤で作るしかないんですね。

――やはり子供の頃から始めたのですか。

小学校1、2年生からですね。でもうちの親は、頭でっかちになるのを嫌ったのか、大学は美大ではなく一般の大学に行けと。おかげで学生時代は遊んでばかりで、「誰々さんの個展やってるから見てこい」と言われても行きませんでした。帰ったら嫌でも仕事しなくてはいけないんだからと(笑)。

友人たちが就職活動で相手してくれなくなってから、全国の窯を見て回りました。すると、小石原は轆轤がうまいなと思って、よそで変なクセ付けるより家で習ったほうがいいと思い戻りました。

自分が良いと思うものを追求し続ける

小石原独特の飛鉋の技術を活かした文様も採り入れている。
赫釉鉋壺(2016年)

中野鉄土飴釉壺(2016年)

――小石原焼は「飛鉋(とびかんな)」や「刷毛目(はけめ)」が特徴ですが、なぜ違った作風を選んだのですか。

柳宗悦(むねよし)が「九州の山奥に中国古来の飛鉋が残っている」と言ったものだから、ずっと伝統的に続いていると思われがちですが、祖父や父に聞くとほとんどは昭和初期に始めたんです。柳宗悦やバーナード・リーチのおかげで小石原焼は栄えました。昔の小石原は「分家ならず」という掟があり窯は8軒だけだったのですが、民陶ブームで脚光を浴びたこともあってそれがなくなり、私が大学から戻ったときは40軒に増えていました。私は皆と同じことをやるのは面白くないと、伝統工芸展に出し始めたんです。飛鉋や刷毛目にとらわれないで、自分が良いものを作っていけば、いつかそれが伝統工芸になるのではないかと考えました。

祖父や親父の時代は、親方は指揮者だったんですよ。すべて分業になっていて、轆轤も専門職人だった。自分は全部一人でやっています。とにかく自分で轆轤を回すのが大好きなんですよ。飛鉋や刷毛目という前に、小石原は伝統的に轆轤の技術が高いと思っています。

――独自の作風はどうやって生まれるのですか。

お客さんの立場で考えると、同じようなものばかりより、違う作風があったほうがいいでしょう。私はいつも、試行錯誤、ムダなことをたくさんしておくんです。すべて実を採らないで種まきを繰り返す感じです。皆そうだと思いますが、9割は失敗しています。いかにムダをして、あきらめないかが肝心です。

聞き手:上野由美子
古代オリエントガラス研究家。UCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)考古学研究所在籍中。2012年国際日本伝統工芸振興会の評議員。ARTP副団長として王家の谷発掘プロジェクトに参加(1999年〜2002年)。聖心女子大学卒業論文『ペルシアガラスにおける円形切子装飾に関する考察』、修士論文『紀元前2000年紀に於けるコア・ガラス容器製作の線紋装飾に関する考察』ほか、執筆・著書多数。

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